縄文人骨は全国で1万5千体。中世より古い段階では、縄文時代の人骨が一番くみつかっています。これは、基本的に酸性土壌で有機質が腐りやすい日本列島にあって、カルシウム分が豊富な貝塚遺跡が多くあるためです。
 1967年に出土人骨による縄文時代の寿命の推定が研究され、その際の平均約30
年が定説化しました。しかし、最近の研究例では40歳50歳の推定値も多くなっています。近代以前の乳幼児の死亡率の高さを考えると、成人してからの寿命は以外と長く、65
歳を超える人骨も3割程度いたとの研究報告があります。
 自然食をいっぱい食べていた縄文人の寿命は、思ったより長かったのかもしれません。(小林)

 1967 小林和正「出土人骨による日本縄文時代人の寿命の推定」『人口問題研究』.102
 2010 長岡朋人「縄文時代人骨の古人口学的研究」『考古学ジャーナル』2010年10月臨時増刊号

 

 日本列島で人骨が出ているのはほとんど沖縄、それから最近になって石垣島。旧石器時代の確実な出土例は南島の石灰岩がある地帯にほぼ限られています。このため日本の旧石器時代人の寿命を想定するには、世界中の同時期の出土例と、狩猟採集民のデータを参考にすることになります。
 このデータによれば、出生時の余命は33歳位と推定されます。しかし50歳位まで生きた人骨の出土例もヨーロッパでは知られていますし、乳幼児の出生率の高さを考えると、もう少し長生きの人がいても不思議ではないでしょう。(長ア)

 

 縄文時代の人骨を調べると、病気のあとがけっこうみつかります。がんによる癒着の痕が加曽利貝塚でも出ていますし、ポリオによって背中が曲がり癒着した例もあります。ケガや病気の痕跡は顕著で、骨折痕も相当あります。縄文時代の、より古い時期では、栄養不足によって成長の止まった「飢餓線」がみられる例がかなりあります。
 また新潟県分谷地A遺跡(縄文時代後期)には、サクラの木をくり貫いて作った容器から、ニワトコの実やヤマブドウの実等、10種類くらいの木の実が入っていた出土例があり、果実酒(薬酒)と推定されています。
 北海道洞爺湖町入江貝塚(縄文時代後期)では小児性ポリオの女の子が20歳位まで成長しています。みんなで介護して暮らしていたんでしょうね。ケガや病気にも、仲間と助け合って暮らしていた社会のようです (^_^) (小林)

 

 ネアンデルタール人は、西アジアからヨーロッパにかけて住んでいた、我々ホモサピエンスより前の段階の人類ですが、彼らの骨には骨折痕が多い。これを調べた研究によると、ネアンデルタール人の骨折箇所は、現代のロデオの選手の骨折箇所とすごくよく似ています。
 我々現代人(ホモサピエンス)と比較して極端に腕力の勝るネアンデルタール人は、かなり近い位置から、槍などで動物を狩猟していたと考えられます。しかし骨折が死亡原因になっている例は少なく、治っている(治癒痕がある)。ケガをしてその間に動けなかったりして、たぶんその間は仲間の保護なしでは生きられなかっただろう時に、回りのひとから助けられて命をつないでいたと考えられています。
 また長い距離の移動や動物と格闘するためか、重篤な関節炎を患っている例が多い。だけどこれも患ったまま、相当痛かったはずですが、長く生きている例が多く見つかっています。ケガ人も、後遺症が残っても、仲間の保護の中で生きていくことができる。決して見捨てられたわけではない社会だったようです (^o^) (長ア)