骨からみた日本人総体としての時代変遷は、おおまかにいって、縄文系と弥生系が、弥生時代以降に日本列島で交差し、古墳時代にも列島外からの人口流入があり、その後は日本列島内で独自の変化が進んできたと考えられます。
 三鷹市域にある横穴墓7群80基からは、全部で112体の人骨が確認されています。 発掘調査で出土した人骨のほとんどは、出土状況の記録を作成したのちに、国立科学博物館に送り、形質学的な調査を行います。最近では状態のよい人骨からDNAを抽出し、遺伝的な情報の解析も行えるようになりました。
 家族墓と考えられる横穴墓でみつかる人骨群からは、単体の人骨から得られる情報よりも、一体一体の関係性の情報が想定できるため、私たちが辿ってきた骨の変遷や系統の研究を進めるうえで、大変重要な役割を果たしています。
 骨の変化は、遺伝的(系統的)交差による変化以外にも、文化や環境、また食事による変化が起こり得ることがわかっていますが、今後様々な手法の開発や洗練によって、もっと詳細な研究が進むことでしょう。

三鷹市出土人骨の身長比較

 



 平均身長では古墳時代の横穴墓埋葬人骨が、男女ともに江戸時代の土葬墓埋葬人骨を上回っています。この結果は、これまでの人類学での研究結果と同じ傾向にあり、縄文時代から現代までの身長の推移の中で、現代の次に身長が高いのは古墳時代で、最も低いのは江戸時代と考えられています。