1,300年前の三鷹市民(横穴墓埋葬人骨)は語る!?

   
講師 沼上省一さん(三鷹市遺跡調査会事務局長 考古学)

 多摩川中流域では5世紀頃から古墳が造られはじめ、6世紀頃には横穴式石室を持つ小古墳が群を形成して作られるようになります。これらは地域の有力者の墓と考えられています。7世紀に入ると古墳のサイズは小さくなる傾向が続き、それまで大王墳として位置づけられていた前方後円墳が全国的にも作られなくなる一方で、崖斜面などに横穴墓の造成が始まります。府中に国府がおかれる8世紀(律令時代)に入ると、仏教の浸透と共に古墳という葬制は廃れてしまうので、新しい時代に変わる直前に、古墳時代の葬制のスタイルが大きく変化し、新しい階層が生まれるという激動の時代だったといえるでしょう。
 三鷹市では横穴墓が数多く造られており、古墳は盟主墳のひとつである天文台構内古墳のみです。
 横穴墓は崖斜面などに横穴式石室を模して造ったお墓です。内部には埋葬人骨が安置されていて、発掘調査で多くの人骨が貴重な考古学資料として収集されました。 
 このコーナーでは3つのテーマに分けて、1,300年前の三鷹市民に語ってもらいます。
1 横穴墓の発掘調査の方法
2 市内横穴墓の埋葬の特徴と希少事例
3 最新の科学分析結果と横穴墓の被葬者像


講師紹介

 法政大学工学部建築学科卒業
 昭和58年に三鷹市教育委員会の外郭団体である三鷹市遺跡調査会で発掘調査を開始
 平成4年より三鷹市遺跡調査会統括調査員
 平成23年より三鷹市遺跡調査会事務局長
 論文「天文台構内古墳の石室と地域首長墓としての位置づけ」『武蔵野』347号 武蔵野文化協会 等多数

 その長い考古学の調査研究生活のほぼすべてを、三鷹市をフィールドとして調査・研究を行う。特に古墳時代の横穴墓の全ての調査の最前線に立って、現場調査と報告書作成に携わる。
 天文台構内古墳の調査では現場調査を指揮し、全国5例目の上円下方墳の発見として、報告書にまとめ、学会から高い評価を得る。妻と猫と同居。セミプロ級のギタリスト。
 古人類学からみた梶ヶ山さんの講演の内容を受け、1,300年前の三鷹がどんな社会であったかを考古学から考えた講演会の内容をまとめました。


  

講演会当日のようす 2016年9月17日