東国の古墳時代のはじまりと滝坂遺跡
 現代の「日本」に直接つながる国家の枠組みが成立したのは、7世紀後半から8世紀と考えられ、それは古墳時代と飛鳥〜奈良時代を分ける大きな画期とされています。ところで、弥生時代と古墳時代との画期は、3世紀前半頃と考えられ、この頃大和地域に、最古の前方後円墳が作られています。それまで日本列島には、比較的小さなクニが分立して存在しており、クニとクニの間では、戦争も起きていたようです。3世紀前半を境に、クニ同士の関係は、同盟あるいは連合国家の様相を呈していたと考えられ、その権力の象徴が前方後円墳であると考えられています。古墳時代と呼ばれる時代の幕開けです。
 滝坂遺跡で見つかった3世紀前半のムラ跡は、東国における古墳時代移行期に作られたムラであると考えられます。このムラからは、古墳時代の大和地域で使われた最古の土器である、庄内式と同時期の土器が出土しています。現在までに23軒の住居跡が調査されており、入間川の川筋に水田をつくり、台地上で畑作を行って集落経営を行っていたものと考えられます。集落内には祭祀儀礼に係る供献土器やガラス製ビーズ玉も出土しており、かなり大きな集団ごと、一時的にこの地に入植していたようです。まだ不明な点の多い、東国の古墳時代移行期におけるヒトの移動を直接知ることのできる貴重な例として重要です。
多摩川中流域 弥生時代末〜古墳時代初頭の集落分布