縄文時代中期勝坂式 市立第五中学校遺跡出土



縄文時代中期勝坂式 市立第五中学校遺跡出土

  中期土器の立体装飾への志向は、前半の勝坂式の終わり頃からますます過熱します。この傾向は関東甲信越地方全体で繰り広げられます。この時期には、各地の影響を互いに強く受けながら土器が作られ、一時的にのみ成立する文様や装飾をもつ土器が作られています。この激動の時期を経た後には、それまでほぼ同じ勝坂式土器様式圏内にあった中部高地と南関東は、別の土器様式圏(南関東=加曾利E式・中部高地=曽利式)に分かれてしまいます。