多摩ニュータウン248遺跡では縄文時代中期の大粘土採掘坑が発見されています。土器を作るには粘土、砂、水、木材が必要です。この採掘坑の南側に大集落があり、その中のいくつかの竪穴住居から土器を作っていた証拠のある住居跡が発見されています。この遺跡の発見以降、福島県や他の地域からも見つかるようになりました。

 多摩ニュータウン遺跡群では、さらには奈良・平安時代、江戸時代の粘土採掘坑も発見されています(長い間に伝承説があったのかもしれません)。従って瓦や須恵器、土師器を焼いた窯跡も発見されています。

 最初に記した大集落の中に、丘陵の上方に2〜3人しか寝泊りできない小さな竪穴住居跡が5〜6軒発見されています。これは他集落から粘土を採掘しに泊りがけで来た人たちの為の住居の可能性も考えられています。ちなみに住居内での遺物の出土は、ごくわずかでした。

関東平野のローム層では、焼き物(土器)を作るための土を採るのに苦労したのではないかと思いますが、どうだったのでしょう。

ねこどびんです!
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