遺跡の場所はどんな所が多いのですか? 

回答)河川の近くです。時代を超えた現代(の遺跡)もそうかもしれません。

説明)
住むための土地

 遺跡には色々な時代のものや種類も様々あって、決定的なことは言えないのですが、集落など住むための土地となるとかなり限定されます。私たちが家やマンションを建てようとしたりすると遺跡が発見されることが多いのは、古来より人々が住みよい環境(日当たり、湿気など)が似ている点は見逃せません。

 ただ、国土が狭いとか、交通の利便性や予算など現代事情が加味されることがあって、同一といえないことも確かですが、こうした現代事情を抜きにしたとすれば、一部の例外はあるものの、古来の住居や集落があった土地は、今でもやはり宅地に適している土地といえるのではないでしょうか。

 ところで、住みよい環境を考えると、古い時代の遺跡(人々)ほど、自然と共存し、糧を自然の恵みの中に求めるなど、自然環境とか、遺跡の立地する土地や地形、隣のムラや狩猟、漁撈などの場との距離なども大きな要素になったものと思われます。今から3万年ほど前に始まる後期旧石器時代やその後に続く縄文時代など正にこうした条件下で活動する場所(今でいう遺跡)が選ばれたものと思われます。この条件のひとつに「川」は欠くことができません。

 一般には、海浜の台地、特に大きな河川の合流地点、河川沿いの段丘上や台地の縁辺など特定の広さをもつ平坦地が一般に選ばれています。洪水に遭わない程度に川辺に近い微高地や緩い斜面地、やせ尾根、山頂、洞窟や洞穴の岩陰なども時期や地域によってはかなり好まれていたようです。

時代の移り変わり

 こうした川に関わる土地は、水耕稲作をより効率的に進めるためには、さらに川の流れる低地を選ぶ一方で、収穫物の米を守るために、弥生時代には高地性集落と呼ばれるムラが、守りやすい高台の土地に築かれることもしばしばありました。

 時代とともに、川の水は用水路を引くことで、離れた場所にも田を作ることを可能にし、また奈良・平安時代の府中の国府や国分寺市の武蔵国分二寺などは、政治・宗教的な要素や詔などにより、その選地が決定される。また、都を結ぶ街道筋ができるなどにより、河川の他にも要素が少しずつ加わるようです。

 遺跡には色々な時代のものや種類も様々あるわけですから、それぞれが適地に残されているといえましょう。狭い国土に人口密度が増すことで、私たちは自然の土地や立地条件を自ら改変しながら「適地」を広げてきたともいえます。それゆえ、広い意味での「遺跡の場所」とは特定できない、というのが実態なのかもしれません。

川は原風景

 ただ、「蛇口の文化」と言われる現代、水道や下水の完備される少し前の時代を思い起こすとき、近所を流れる小川や、少し大きな川は、私たちの生活には無くてはならないものだったはずです。

 道路、車、鉄道などの発達により、大きく様変わりはしたものの、どこかで、私たちには、「川」が郷愁を覚える「原風景」のひとつである思いがあるとすれば、稲作文化から連なる日本文化の歴史、里山の風景の大きな要素を形成していることを、無意識のうちに感じとっているのかもしれません。

 換言すれば、古来より人が残した「遺跡」とは、川の要素を抜きにして考えることはできないのではないでしょうか。

 
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