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大沢の遺跡7

〜古墳時代の大沢(2)(古墳について)〜
 大沢地区の古墳時代の遺跡のうち、古墳(高塚古墳)について紹介します。高塚古墳とは墳丘を持つ古墳という意味で、横穴墓(墳丘を持たず斜面に造られる)と区別されます。
 古墳は3世紀後半頃から近畿地方を中心に、大王や首長などの墓として造営が開始されます。この頃の古墳は大型の前方後円墳が中心で、埋葬施設は竪穴式石室などが主流です。
やがて古墳は全国各地で造営されるようになり、古墳時代末期の7世紀頃になると被葬者が下位の階層まで広まると共に、古墳は小型化します。墳丘の形も円墳や方墳が多くなり、埋葬施設は横穴式石室が主体となります。横穴式石室は入口が開閉自在であるため、横穴墓と同じように追葬(何回も遺体を埋葬すること)が可能な構造です。
 現在、三鷹市内で発見されている古墳は大沢地区にある1基のみです。国立天文台の正門から100 m程南の梅林の中に位置し「天文台構内古墳」と呼ばれています。昭和45年に発掘調査が実施され、その記録によれば墳丘は東西20m、南北25m、高さ2m程の方墳もしくは円墳と考えられ、埋葬施設は横穴式石室です。内部には5角形の後室と方形の前室があり、壁などの構築には切り石が使用され、床には川原石が敷かれています。内部が前後室に区分されていることや、床に川原石が敷かれていることは、周辺の横穴墓とよく似ています。残念ながら副葬品は発見されていませんが、石室の形態などから7世紀中頃の造営と考えられ、周辺の横穴墓(7世紀後半から造営)と同じかあるいは一足早く造られたものと思われます。
 ところで、多摩川流域には下流から上流まで、古墳時代を通して多くの古墳が造営されていて、隣接する調布市内では、7世紀の古墳についてはいくつかの古墳群が形成されています。しかし、三鷹市のような台地の奥部では古墳の分布は少なくなり、「天文台構内古墳」のように孤立していることがあります。ただ三鷹市の場合、周辺には横穴墓群が多く分布するので、これらを含めて群を形成することも考えられます。そのため、大沢地区における古墳と横穴墓との関係を探ることは、極めて重要な課題なのです。
天文台構内古墳の墳丘
『三鷹市史』
三鷹市史編纂室(1970)より
内部の石室
『多摩地区所在古墳』
東京都教育庁(1995)より
大沢の遺跡8 旧石器時代の大沢〜(環状ブロックについて)〜