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大沢地区で現在までに確認されている最も古い人間の暮らしの痕跡は、後期旧石器時代の始まりの頃。今から約三万年前のものです。
旧石器時代は、まだ土器を持たない時代です。人々は石や木、動物の骨、角などで作った道具を使い、狩りや植物採集などをしながら小規模な集団で移動する生活を送っていたようです。大沢地区では、旧石器時代においても重要な発見が相次いでいます。
天文台構内遺跡は南西側を国分寺崖線に、東側をかつては豊富な湧水源を擁した浸食谷(現在の天文台通り)に界された、舌状台地に位置します。今回の調査は、この浸食谷に沿って遺跡の東端を南北に細長く発掘したもので、旧石器時代の調査では、特に天文台の正門を挟んだ北側の地区において、多大な成果を得ることができました。
出土した遺物は石器が約二千五百点、礫が約八千点。ローム層(赤土)の最上部から深さ約一.五mくらい(今から約一万二千年前から、約二万五千年ほど前の地層)にかけて発見されました。石器は主にナイフ形石器や角錐状石器、掻器、削器など、後期旧石器時代に特徴的な道具類です。
また、発掘調査後の整理調査によって石器つくりの工程を知るための接合作業を試み、いくつかが復元されました。この作業は、バラバラに出土する同じ母岩から剥ぎ取られた石片(剥片)や石器をつなぎ合わせるものです。
礫の大部分は礫群と呼ばれる遺構を構成するものでした。礫群の用途は蒸し焼き料理に関わるもの(厨房そのものや、割れた礫の捨て場など)の可能性が考えられています。今回発見された礫群は二十六基。構成礫十数点のものから千点を超えるものまで、規模や形態は実に様々です。
現在進行中の整理調査では、今年度末に予定されている調査報告書の刊行にむけて、遺物群の時期的な識別や石器つくりの工程などの分析を進めています。
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