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講座研修室

旧石器時代の石器つくり工房@

-丸池遺跡
 丸池遺跡は市内新川2・3丁目、仙川の左岸に位置します。現在その一部で「丸池の里」としての公園整備が進み、恵まれた景観を誇る当地域は、旧石器時代の人たちにとっても抜群の立地条件を備えた場所であったようです。
1980年代の調査
 丸池遺跡において初めて本格的な発掘調査が行われたのは1980年のことです。その調査で立川ローム第V・VI・IX・X層の石器集中部と、第IV層の礫群(れきぐん)が発見されました。第X層というのは約30,000年前の地層です。発見された石器は今のところ市内最古期にあたるものです。その後1983年の調査では、第IX層において、良質な黒曜石(こくようせき)の石器集中部が発見されました。この2回の調査はともに市道整備工事に伴うもので、2m足らずの幅の細長いトレンチ状の調査であったため、この石器集中部の全容は未だ明らかになってはいません。
「丸池の里」での石器つくり
 1993年から、「丸池の里」整備工事に伴う調査が地区ごとに開始されました。旧石器時代の調査に大きな成果を見たのは、1999〜2001年に断続的に行われた、病院寮跡地の調査です。過去の工事により、遺跡は大きな撹乱を受けていましたが、それでも破壊を免れた部分からは多くの遺構・遺物が試掘調査によって確認されました。公園としての遺跡保存を念頭に調査区の拡張は必要最小限に留められましたが、工事によってやむなく損壊する地点のみ、本発掘調査が実施されました。石器つくりの工房跡がみつかったのは、第III層(約14,000年前)、IV層下部〜V層(約22,000年前)、VII層(約27,000年前)です。
 III層の石器集中部は、直径約1mの小規模なものです。黄色に赤褐色の縞が入る珍しい色調のチャートと灰色の頁岩(けつがん)を主に使っており、遺跡に残された剥片(はくへん)はともに表面に原礫面を残す比較的整った縦長の剥片です。石核(せっかく)や製品は持ち出されたらしく発見されませんでした。
 IV層下部〜V層の石器集中部は石器数82点、粒子の細かい凝灰岩(ぎょうかいがん)系の石材を主体とし、ナイフ形石器スクレイパーを作っていました。石器つくりの道具であるハンマーや、台石(だいいし)状の大形の礫も一緒に発見されています。同一母岩(ぼがん)と思われる33点中、9点の剥片が直接接合しました。石器と重複して、71点の焼けた礫の集中(礫群)も発見されています。
 VII層の石器集中部は石器数27点。石材は、際立って多いものはありませんが、チャートホルンフェルス黒曜石などが使われています。チャートとホルンフェルスの石核同士の接合を含む資料が1例ずつ見られました。
 「丸池」は、かつて仙川流域有数の湧水量を誇った湧水池の名前です。川床に大きな湧水の噴出し口が多数あったこの湧水池は「千釜(せんがま)」とも呼ばれ、「仙川」の名称はこの千釜からきているともいわれています。眼下に豊富な湧水池を従えた陽当たりのいい崖上は、旧石器時代の人たちが2万年近い年月にわたって、幾度となく訪れては石器つくりをした場所でした。仙川を挟んだ対岸の島屋敷遺跡もまた市内最古期の遺跡で、局部磨製石斧などが発見され注目を浴びています。
丸池遺跡第X層の石器

旧石器時代の石器つくり工房A

-羽根沢台遺跡
 羽根沢台遺跡は市内大沢4丁目、野川の左岸に位置します。南を国分寺崖線(こくぶんじがいせん)、西を「羽沢の小谷」と呼ばれる浸食谷(しんしょくだに)に界された、台地の端部です。国分寺崖線には羽根沢台横穴墓群(おうけつぼぐん)と呼ばれる古代のお墓が並んでいます。1978年の宅地造成に伴う本発掘調査では横穴墓群の大規模な調査が行われましたが、同時に旧石器時代においても多大な成果をあげました。特に第VII層(約27,000年前)では、調査面積わずか16uの狭い範囲から100点を超す石器類が発見され、これに続く旧石器時代の調査の機会が待たれていました。
「どんぐり山」の調査
 その機会は1993年にやって来ました。特別養護老人ホーム「どんぐり山」の建設に伴う本発掘調査です。対象地は遺跡の南西端部。武蔵野段丘より一段低い立川段丘面が眼下2方向に広がり、晴れた日には遠く富士山も見える絶好の立地です。本発掘調査では第III層(約14,000年前)から第IX層(約29,000年前)にかけて、総数約4,500点の遺物が発見されました。特に第VII層の石器集中部は、武蔵野台地でも屈指の大規模なものです。
27,000年前の大集団?
 発見された第VII層の石器群は、環状ブロックと呼ばれる特異な分布の仕方をしていました。環状ブロックは後期旧石器時代前半期のみにみられるものです。旧石器時代の人々は、シーズンごとによりよい狩猟の場を求めて小さな集団で移動しながら暮らしていたと考えられていますが、この環状ブロックは、狩猟の方法などにより、小集団が一時的に集合して大集団を形成していた痕跡ともいわれています。発見された石器類は母岩別に識別され、豊富な接合資料から石器つくりの工程が詳しく復元されました。
羽根沢台遺跡第Z層の接合資料

旧石器時代の石器つくり工房B

-出山遺跡
 出山遺跡は市内大沢2丁目、羽根沢台遺跡から約1km上流の野川左岸に位置します。1978年の調査で縄文時代後期の住居跡から発見された大形の注口土器(ちゅうこうどき)が近年になって東京都の有形文化財に指定され、また、1993年の調査で国分寺崖線にて発見された出山横穴墓群(でやまおうけつぼぐん)8号墓が同じく東京都の史跡に指定されるなど、旧石器時代以外の時代の調査でもめざましい成果をあげている遺跡です。「出山」という地名の由来とも考えられる、崖線の裾から豊富に湧き出る湧水は、現在でもわさび田や水田を養っています。
第七中学校の調査
 1982年、市立第七中学校の建設工事に伴い、本格的な発掘調査が行われました。旧石器時代の調査では、第III層(約14,000年前)から第V層(約22,000年前)まで、多数の遺物・遺構が発見されました。特にIV下〜V層の石器集中部では、2,000点もの石器が集中して見つかっています。ナイフ形石器、彫器、スクレイパーなどの製品類や、多量な接合資料とともに、集中して発見された角錐状石器がこの石器集中部を特徴づけています。
出山遺跡の角錐状石器
 角錐状石器はナイフ形石器・彫器などと同様に、旧石器時代にのみ作られ、使われた石器です。断面が三角形で、表面のみ左右の側縁から急角度な調整が施されています。出山遺跡で発見された角錐状石器は調整剥片の接合したものもあり、石器つくりの工程を示す貴重な資料となりました。近年、ここで角錐状石器の材料として多く使われたガラス質緻密黒色安山岩は、利根川近辺で採集されたものであることがわかっています。
出山遺跡の角錐状石器

旧石器時代の石器つくり工房 番外編

-みたかにやって来た黒曜石(こくようせき)
 黒曜石は、黒色の緻密なガラス質の火山岩です。天然ガラスとも呼ばれるほど鋭い刃先を作りやすく、旧石器時代の石器つくりに欠かせない材料です。
黒曜石の主な産地は北海道の白滝や十勝、長野県の中部高地や、箱根、神津島などで、三鷹のように産地から遠く離れた地域では、近くの河原で簡単に手に入るものではないことが知られていますが、東京でも旧石器時代の各時期を通して多く発見される石材であるだけに、その搬入方法や交易などについて研究・議論が重ねられています。
 市内の旧石器時代の遺跡でも、第III層(約14,000年前)から第IX層(約29,000年前)まで黒曜石を使った石器が発見されています。その石質から個体識別が他の石材に比べて困難な黒曜石ですが、接合資料も徐々に増えて来ています。現在発掘調査中の天文台構内遺跡、都道拡幅工事に伴う本発掘調査でもIV層(約17,000年前)からV層(約22,000年前)にかけて、黒曜石を主体とした石器集中部が複数みつかっています。
 遺跡で発見された黒曜石の産地は、科学分析によって推定することができます。もちろん専門家に委託して行うものですので、なかなか分析の機会もありませんが、羽根沢台遺跡のIII・IV・VII層の黒曜石の分析結果では、III・IV層は伊豆・箱根系、Z層は長野県中部高地系を主体とするものであることが示されました。
島屋敷遺跡第Y層(約25000年前)の黒曜石製石器