中期縄文社会の終わりと滝坂遺跡
 縄文時代中期(5,500〜4,450年前)は、関東地方の縄文時代で最も人口が増え、繁栄する時代です。滝坂遺跡の周辺では、市立第五中学校遺跡と西谷遺跡で約5,300年前頃に集落が形成しはじめ、北野遺跡でもその直後に住居が作られています。
 中でも市立第五中学校遺跡では、現在までに約140軒の住居跡が調査されており、未調査のものも含めると、推定で累計300軒の住居が予想される、武蔵野台地屈指の拠点集落跡と考えられています。しかし4,500年前頃を境に住居が作られなくなります。
 この時期には、古環境変遷の研究によって、急速な寒冷化が起こったことが判明しており、それまでの生業スタイルが維持できなかったものと考えられ、関東地方各地の拠点集落でも、集落の崩壊現象が起きています。
 隣接する北野遺跡や西谷遺跡などの小規模遺跡でも、この時期には住居が作られなくなるのに対し、滝坂遺跡では、ちょうどその頃から住居跡が作られ始めており、急激な寒冷化に伴う変化に、縄文人たちがどのような対処したのか、具体的に解明し得る貴重な例として、今後の調査が期待されています。
滝坂遺跡と周辺の縄文時代中期住居跡分布図