丸山B遺跡発掘調査史

 丸山B遺跡近隣で、縄文時代の土器が採取できることは古くから知られていたようです。大正3(1914)年刊行の『人類学雑誌』22巻9号(東京人類学会)には、市井の研究者である上羽貞幸が「井ノ頭池附近の遺跡」という報告を行い、「牟禮字丸山」で採取した縄文時代後期の土器・石器類を紹介しています。この時の資料は、現在京都大学と東京国立博物館に保管されています。

 上羽はその後もこの地を訪れ資料採取を行っていたらしく、翌大正4(1915)年にも「丸山の遺跡」から出土した「石器時代の把手」という報告が同誌に掲載されています。

 昭和26(1951)年には、立教女学院の近くで遊泳中の中学生が、足に触れたという、炭化したクルミと縄文土器を、当時井の頭公園内にあった武蔵野博物館に届けています。当時博物館の研究者であった吉田格(元三鷹市遺跡調査会会長)は、この発見により、縄文時代の泥炭層遺跡の存在を予測していました。

 昭和62(1987)年の住宅建替工事による試掘調査では、河道内と思われる砂層直上の泥炭層から多量の縄文中・後期の土器が出土し、水場遺構の一部である可能性が指摘されています。


  

  

遺跡発見の契機となった土器(東京国立博物館所蔵

実測図:上羽貞幸(1914)「井の頭池附近の遺跡」『人類学雑誌』22-9 東京人類学会 より
写真:撮影・提供 吉田 格氏



上羽が紹介した土偶(京都大学所蔵)

上羽貞幸(1915)「石器時代土器の把手」『人類学雑誌』30-2 東京人類学会 より
(正面図・側面図の縮尺を統一して掲載しています)




大正13年頃の丸山B遺跡附近 (吉田 格氏 提供)