縄文時代の草創期から前期までの急激な気候変動に適応するために、土器を用いた食料加工のバリエーションは多様なものとなりました。煮炊きなどの加熱調理に加え、蒸し加工、また土器を用いた水さらし、加熱によるあく抜き等の方法が次第に洗練されていきます。
そして縄文時代中期に、今とあまり変わりない気候に安定してから、縄文土器の立体造形の流行は特に関東地方、中部高地、上越地区を中心に激しく燃え上がります。またその影響は全国に及んでいます。日常に使われる器に、縄文土器ほど、過度といえるまでの立体造形を加える文化は、世界を見渡しても中期縄文人だけのようです。
そのままでは食べることができない(アクが強すぎる、消化できない、美味しくない等)動植物資源を、土器を通すことで食料に変換する。そんな土器の「象徴的機能」に着目したのはフランスの思想家レヴイ=ストロースですが、縄文人も自分たちの土器にそのような象徴的な思いを込めていたのでしょうか?
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