名称 丸山A遺跡出土の縄文時代後期遺物
2 周辺状況
3 三鷹市文化財専門委員会答申全文
「当該文化財の特徴及び指定理由」
丸山A遺跡から出土した、縄文時代後期前葉の遺物16点を一括指定する。これらの遺物は土偶4点、土製耳飾り2点、土器8点、石製小玉1点、剥片石器1点で、総数16点である。
丸山A遺跡は、武蔵野台地に数少ない縄文時代後期の大規模遺跡である。遺跡は神田川上流域に位置しており、右岸の台地上には墓域や祭祀(さいし)遺構が集中する区域がある。また隣接する河道内の低地部を丸山B遺跡と称するが、同じ時期の遺物が泥炭質の土層から集中して出土し、また河道内の微高地上にピット等の遺構の存在が確認されていることから、水場遺構等の、河川を利用した生業遺構があったことが考えられる。このため当該地域一帯は、縄文時代後期の生業から埋葬までの生活空間であったことが推測される。
本遺物は、丸山A遺跡の河川脇の台地縁辺に設けられた、墓壙(ぼこう)や祭祀遺構が集中する地点より出土したものである。
土偶一点は、顔の造形の妙と表情の豊かさが特徴で、板状土偶に分類される。小型の浅鉢形土器は、長軸2〜2.5m、単軸1〜1.5m、確認面からの深さ約0.4m程度の、平面形が小判形を呈する墓壙と考えられる土坑に、1基に1個体づつ埋納されていたもので、副葬品(ふくそうひん)と考えられる。これらの土坑は直線的に並ぶように数列が配置されており、一帯が墓域であったと考えることができる。耳飾りは滑車(かっしゃ)形の無文のもので、墓壙群に並んで位置する土坑中に、小型の浅鉢形土器と共に埋納されていた。
資料自体の造形が優れていることに加え、同じ墓域にありながら墓壙や祭祀遺構に伴う出土状況が多様であり、稀有なものである。完形品こそ少ないが、このことが当時の風習を正しく伝える情報のひとつであるとも考えることができる。縄文時代後期の祭祀や埋葬の儀礼を究明するうえで貴重な資料である。
『三鷹市教育委員会 文書』より
補注1: | |
もう一点の土偶(顔部)は、筒型土偶とよばれる中空の胴部をもつ土偶の顔部と考えられる。土偶脚部2点は、板状土偶と同一個体である可能性がある。また小玉は滑石製で、長さ18mm、幅13mm、厚さ5mm、重さ2gで、丁寧に穿孔されている。 | |
補注2: | |
耳飾りの出土状況は、小型の浅鉢形土器2点が重ねられた中に納められるように埋設された特異なものである。また土坑中よりチャート製の剥片石器1点が伴出している。 | |
補注3: | |
これまでの出土遺物から判断すると、この遺構群が営まれた時期は、縄文時代後期の堀ノ内2式〜加曾利B2式までを主体とすることが推測される。 | |
補注4: | |
本遺構群からは、墓壙(ぼこう)、祭祀遺構、土器捨て場、集石土坑等が現在までに検出されているが、住居跡はまだ発見されていない。 |
1 指定内容
発見場所 | 発見年月日 | 土地所有者 | 資 料 |
井の頭二丁目19番26号 | 平成13年2月26日 | 個 人 | 土偶1・耳飾り2・土器8 剥片石器1 |
井の頭二丁目17番2号 | 平成14年3月13日 | 一般企業 | 石製小玉1 |
井の頭二丁目17番 | 平成14年6月3日 | 個 人 | 土偶3 |
発掘主体者 | 三鷹市遺跡調査会 |
発見の経緯 | 住宅建替等の工事に伴う事前の発掘調査により隣接する3地点から出土した。 |
出土状況 | これらの遺物の出土地点は、神田川右岸の台地上にあり、縄文時代後期の墓壙や祭祀遺構が集中して発見される地区にある。調査は住宅建替等の工事に伴い隣接する3地点において行われたもので、その出土状況からみて、墓壙や祭祀遺構に埋納されたと考えられるものを含む。 |
掲載文献 | ●吉田格・下原裕司 2003 「三鷹市 丸山A遺跡」『東京都遺跡調査・研究発表会28 発表要旨』 東京都教育委員会ほか ●三鷹市遺跡調査会 2003 「東京都三鷹市丸山A遺跡」『文化財発掘出土情報』252号 潟Wャパン通信情報センター |
板状土偶
土偶(顔部)
小型浅鉢土器
耳飾りと小型浅鉢土器
板状土偶
石製小玉
耳飾りと小型浅鉢土器の出土状況
祭祀遺構
墓壙群
種別 | 市重宝第21号(三鷹市文化財保護条例第5条第1号)考2号(有形文化財・考古資料) |
員数 | 16点(土偶顔部2点、土偶脚部2点、土製耳飾り2点、土器8点、石製小玉1点及び剥片石器1点) |
保管先 | 三鷹市新川三丁目7番9号 埋蔵文化財調査室 |
所有者 | 住所 三鷹市野崎一丁目1番1号 氏名 三鷹市 |
管理者 | 住所 三鷹市下連雀九丁目11番78号 教育センター 氏名 三鷹市教育委員会 |
指定日 | 平成16年4月7日 |