三鷹市中原三丁目において、古墳時代後期の住居跡が発見・調査されました。
 発見された住居跡の年代は、出土した土器からみて7世紀後半のものと考えられ、市内に多く残る横穴墓の年代と一致します。これまで多くの横穴墓が調査・保存されてきた三鷹市内で、住居跡が見つかったのは初めてのことです。
 住居跡は、5×5mの正方形の平面プランで、北側に竈(かまど:台所)、南側に入り口を配し、4本柱の痕跡と、貯蔵穴と考えられる掘りこみをもっていました。慎重に測量したところ、現在の方位と建物の主軸が、ピタリとあっていることが解りました。
 住居跡の中からは、煮炊きに使う小型の甕(かめ)や碗(わん)等の土師器のほか、東海地方で生産されたとみられる須恵器の杯も出土しています。東海地方の須恵器は、市内の横穴墓にも供献(きょうけん)用として出土しています。
 横穴墓が多くみつかっているのは大沢地区で、中原地区にはこれまで横穴墓の発見例はありません。けれども大沢の横穴墓群と今回発見された住居跡は、調布市深大寺地区を挟んで、野川・入間川(中仙川)の同一水系上にあり、およそ8世紀以後には、同じ郷(里)として一緒にくくられている範囲に含まれることが推定されるため、横穴墓の被葬者に近い関係の人物が暮らしていた住居であるかもしれません。
 今回見つかった住居跡は、住宅建替(地下室建設)による限られた範囲での調査のため、1軒だけの発見ですが、周囲には未発見の集落が眠っているかもしれません。
 なお、調査は既に終了し、現在三鷹市遺跡調査会事務所で基礎的な整理調査を行っています。
住居跡復元想定図
住居跡出土遺物
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横穴墓と同時代の住居跡を初めて発見

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