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大沢の遺跡9

〜縄文時代の大沢〜
 三鷹市域で最も遺跡密度が濃いのは、大沢地区です。
 湧水を集めた野川やハケが織りなす大沢の自然環境は、自然と共生し、自然の恵みを活用することに長けていた先史時代の人々にとって、とても住みやすい場所であったのでしょう。
 この地区には、現在23箇所の遺跡がありますが、そのほとんどの遺跡からは、縄文時代の遺構や遺物が発見されています。縄文時代の層は、地表からそれほど深くないところにあるため、雨上がりなどに目を凝らしてみると、縄文土器や石器をいまでも地表に見つけることができます。
 表は、これまでに大沢地区で発見された縄文時代の住居跡を時期別に表したものです。縄文時代は、6つの時期に細分されていますが、このうち最も古い草創期と最も新しい晩期以外の、全ての時期の住居跡がこれまでに発見されています。また草創期と晩期についても遺物は出土していますので、縄文時代の全ての時期にわたって、縄文人が大沢の地を利用していたことがわかります。人口が少なかった時期と考えられる草創期と晩期の住居跡も、今後大沢地区で発見されるかもしれません。
 このような縄文時代の遺跡密度の濃さは、野川源流のある国分寺市から、大沢や調布市深大寺周辺までの野川上中流域全体に通じていえることです。特に縄文時代中期には、中規模の集落跡が、川沿いに数百メートル毎に分布するといった、珍しい様相を示しています。
 しかしその一方で、武蔵野台地屈指の縄文中期集落跡である三鷹市立第五中学校遺跡(仙川流域)のように、集落範囲の直径が百メートルを越え、住居跡の数が推定二百軒を超えるような、いわゆる大規模拠点集落跡はみられません。
 環状や馬蹄形を呈するといわれる、このような大規模な拠点集落と、それ以外の集落の、機能や生成の違いについては、古くから考古学の論点のひとつとなっていますが、いまのところ定説はありません。 拠点的な集落を持たないで、流域全体に生活の場が繰り広げられる野川流域の縄文遺跡群は、まだよく解らないことの多い、遺跡と遺跡、集落と集落との関係の解明に、新しい手がかりを与えてくれるかもしれません。
大沢の遺跡10 〜戦時下の大沢(高射砲陣地跡の発掘調査)〜