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野川の流れる大沢は、豊かな自然環境に加えて、これまでも市内における遺跡の宝庫として注目されてきました。
ここでは大沢の遺跡についての様々な情報を紹介します。まずは、平成15年3月に発掘調査を終了した天文台構内遺跡の調査成果です。この調査は、天文台通りの拡幅工事に先立って行われたもので、平成11年から断続的ではありましたが3年半の歳月を費やしました。主な調査成果を、遺跡の時代毎に解説します。
最も現代に近い時代の発掘成果は、江戸時代末頃のお墓の発見です。場所は、天文台裏門から100
m程南の斜面です。149 基の土葬墓が、130 u程の範囲に密集して発見されました。ほとんどの墓穴では棺桶が朽ちていましたが、墓穴の平面形は円形や方形などが混在していて、これは棺桶の形による結果と思われます。その割合は円形59%、方形24%、不整形6%、形態不明11%になり、平面形が円形の棺桶(樽状のもので早桶と呼ばれる)が主体となっていたようです。また、墓石、墓標などは一切発見されていません。
各墓穴からは埋葬骨のほか、いろいろな副葬品が出土しました。埋葬者が持っていた六道銭(六文銭)は、17〜18世紀に鋳造された新寛永通宝が主体です。焼き物も出土しており、17世紀末〜18世紀初頭の有田焼(肥前系)の碗、同時期の瀬戸・美濃焼の皿などがあります。他には土製の雛人形や煙管などが発見されました。
天文台の開設以前、今回発見の土葬墓群付近には長久寺がありました(現在は天文台の北300
mに移転)。しかし、長久寺に残る図面資料には、当時の寺の墓地が今回の土葬墓群とは異なった地点に示されています。このことから、この土葬墓群は長久寺とは関係のない、村の共同墓地といった性格を持つことが推測できます。
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