市内における野川の最も上流に位置していて、これまでに3基が発掘調査されているほか、地中レ―ダー探査で更に5基の存在が確認されています。調査された3基については、1号墓は玄室の平面形が正方形に近く、野川流域では珍しい形態です。また、3号墓の壁面には線刻画が発見されました。 | |
『三鷹市史』に「出山古墳」として掲載されている横穴墓群で、東京都指定史跡の8号墓を含め、10基で構成される横穴墓群です。8号墓の羨門は石積み施設と大きな石による閉塞が特徴的ですが、未開口の2号墓にも同様な大きな石による閉塞がみられます。2号墓にも石積み施設があるのでしょうか。 | |
昭和58年に4基が発掘調査、2基が位置確認されました。うち3号墓には成人男子1体のほか、小児1体が寄り添うように埋葬されていました。横穴墓では、小児の埋葬は珍しくありません。市内でも、出山・羽根沢台沢横穴墓群などで確認されています。このことから、横穴墓が首長だけの墓ではなく、家族の墓であったことが考えられます。 |
昭和49年の宅地造成の際に偶然3基が発見され、緊急調査が行われました。原横穴墓群は、他の横穴墓群のある野川に沿いの国分寺崖線ではなく、野川に注ぐ支流の谷地に位置しています。国分寺崖線の横穴墓が低地を見下ろす見晴らしの良い位置にあるのに対して、原横穴墓群は谷に面していることが、立地の特徴といえます。 | |
発掘調査で8基,地中レーダー探査で更に8基が確認されています。うち、3号墓の玄室は市内最大級の大きさで、8体分の埋葬人骨が発見されました。一方、7号墓の玄室は市内最小の規模で、埋葬人骨も1体のみでした。7号墓は単独で高い標高に位置し、埋葬者が死後に抜歯されているなど、謎の多い横穴墓です。 | |
全国の横穴墓群地名表に掲載された著名な横穴墓群です。市内では最大規模の横穴墓群で、墓の分布は市境を越えて調布市域に及んでいます。これまでに13次に及ぶ発掘調査が行われ、15基が確認されました。出土遺物は総数17体の埋葬人骨のほか、7世紀の須恵器(長頚壷)が発見されています。 |