縄文土器の圧痕を探し、縄文人が何を食べていたのかを探ろう!


食べていたものはそのままでは残らない

 火山性堆積物によって、土壌が酸性である場所が多い日本の遺跡では、条件に恵まれた低湿地遺跡以外では、食べ物や有機物は分解され残りません。このため、何を食べていたのかを直接知ることは難しいのです。  一方、縄文時代中期の関東地方の遺跡密度は、採集狩猟民としては極めて高く、しかも千年もの間資源を取りつくすことなく維持されていました。長期間安定した人口を支えた食料資源が何であったのか?については、まだ解明されていない「謎」なのです。  

土器に埋め込まれていた「謎」とは?  

 縄文土器は、自分たちのムラで作られていました。土器の胎土には小さな空隙がよくありますが、これは生地土に含まれていた物質が、焼成時に燃えてしまった痕跡です。では燃えてしまったのは、何だったのか?それは当時の縄文ムラに身近に存在していたもののはずです。

食べていたものを知る手がかり

 レプリカ法という方法によって、土器に残された空隙には、焼成前の柔らかい粘土に押し付けられた形が克明に「圧痕」されていることが解りました。「圧痕」を「型」に取り、形の特徴を走査型電子顕微鏡(SEM)で観察すると、燃えてしまった身近な物質の形がよみがえります。この結果、従来もっと後の時代に渡来したものと考えられていたダイズやコクゾウムシが、縄文時代に存在していたことが発見されました。分解し、残っていない食料資源の「型」に関する貴重な情報が、土器に埋め込まれていたのです。

三鷹市の縄文人が食べていたものを探す

  今回の体験講座では、三鷹市中原四丁目の西谷(にしや)遺跡の出土土器から、三鷹の縄文人が何を食べていたのか?を探る体験講座を行います。講師をお願いしたのは植物考古学の第一人者で、レプリカ法でも多くの研究成果を上げられている佐々木由香先生(パレオ・ラボ梶jです。

 

 

▲一般の方には聞き慣れない「植物考古学」について、わかりやすくお話し下さる佐々木由香先生。

  ▲まだ少し緊張気味な会場のようす。この後本物の縄文土器を手にとっての作業です。
 

▲先生によるデモンストレーション。鮮やかな手元を真剣にみつめます。

  ▲さまざまな器具と薬剤。安全で正確な作業のため、注意事項も含め、丁寧な指導をいただきました。
 

▲圧痕のみつかった土器を袋から抜き出す時は、土器が迷子にならないように、遺跡名や出土地点をラベルに控えておきます。

 

▲小学生の女子も、お母さんと一緒に参加。熱心に、細かい作業をやり遂げました。

     
     

  胎土に含まれている圧痕を探すためには、大量の土器を観察する必要があります。本物の土器を触る丁寧さと、資料の混在を防ぐ注意深ささえあれば、探すこと自体は、手間はかかるものの簡単な作業であるため、だれでも、また多くの人が参加することが可能です。 収蔵庫に保管されている土器片から、未知の歴史が発見されるかもしれません。期待が高まります。 

 

▲西谷遺跡SI-10住居跡(縄文時代中期後半)

 

▲西谷遺跡SI-10の炉体土器

 「これはシソ科の果実ですね。エゴマかな」参加者の一人が採取したレプリカを見た先生の言葉に、思わず皆さん、歓声と拍手。西谷遺跡の縄文人はエゴマを食べていたのでしょうか!?

 

 
▲各テーブルを回る佐々木先生。第一線の研究者から直接お話を聞ける機会に、皆さん質問が止まりません。   ▲「これはキハダですね」と先生がおっしゃった圧痕レプリカ。

 シソ科の果実(エゴマ?)、キハダ、それ以外にも、ダイズやサクランボの可能性がある圧痕がみつかり、これらは科学分析をお願いし、同定を行うことになりました。その結果は後日となりますが、2時間という短い時間でこれだけの成果が得られたこと、講評で、佐々木先生から高い評価をいただきました。

 市民の方との協働で得た今回の講座の成果は、今後、科学分析の結果とも合わせて西谷遺跡の調査報告に活かされます。