島屋敷遺跡:島屋敷とは、風土記稿編纂時に伝承として残っていた名前です。発掘調査によって判明した中世島屋敷遺跡は、最も古いもので13世紀の遺物が出土しており、15世紀(中世)と17世紀(近世)に遺物の時期のピークがあります。
中世の屋敷は仙川右岸の独立丘に造られており、屋敷に隣接して地下式坑(お墓)を造営していました。その後近世に至り、同じ場所に陣屋が建てられました。
陣屋は主体となる建物の南側に池を造成していますが、この際にかつてあった地下式坑を破壊しています。これらの屋敷や陣屋は、単独の建物や施設ではなく、島状地形全体を溝で区画し、畠や水田や、これらを耕作する人々の家をも含んだ、集落としての拡がりをもつことが判明しています。
新編武蔵風土記稿に記録された光景は、直接には、近世に作られた陣屋跡を示すと考えられます。築山や池などは、当時もなお、埋まりきらずに残っていたものでしょう。発掘調査は、現在も断続的に行われており、屋敷の主を直接示すような資料の発見や、多聞院の実在の真否など、なお未解決な問題について研究が進められています。