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みたかの横穴墓

(みたかのおうけつぼ)7世紀後半頃
 古墳時代後半になると、古墳の被葬者は各地の首長クラスから下位の階層にも広まります。古墳は小型化し、群集して造られることが多くなります。
 横穴墓は古墳が小型化・群集化する時代に、新たに現れた葬法です。それまでの高塚古墳のように人工の墳丘を造ることなく、自然の崖に横に穴を掘って造るので、低コストといえます。また、古墳の横穴式石室と同様な開閉可能な構造により、追葬ができることは大きな特徴です。5世紀後半から8世紀頃まで、九州から東北南部の地域で造られました。
 三鷹市の横穴墓の多くは、7世紀後半頃に造られました。野川沿いの国分寺崖線に連なって分布していて、大沢地区では、これまでに7群63基が確認されています。

1 主な遺跡と遺物

出山横穴墓群(大沢二丁目)
 これまでに10基が確認されています。うち8号墓は、羨門(せんもん:墓の入口)に市内唯一の石積構造が施された特徴的な横穴墓です。内部には川原石が敷き詰められ、天井はアーチ形に造られています。4体の埋葬人骨が確認されました。
 1994年に都史跡の指定を受け、現在は保存・公開施設によって見学ができます。

御塔坂横穴墓群(大沢四丁目)
 総数15基が確認された市内最大の横穴墓群で、開発工事等で削平を受け、消滅したものもありますが、床部分など一部が地下に埋まっています。


出山横穴墓群8号墓(7世紀)

2 東海地方から運ばれた須恵器
 野水橋横穴墓群は国立天文台の南西に位置し、これまでに6基の横穴墓が発見されました。そのうちの3号墓の墓前域(ぼぜんいき:墓前の広場)では、写真の須恵器が発見されました。横穴墓では墓前域で器が発見される例が多く、おそらく埋葬の儀式に使われたものでしょう。この器は、形態からフラスコ形長頸壺と呼ばれています。ロクロで胴部の球体を作った後、横に倒して頸部を接合するという、特徴的な技法が見られます。産地は東海地方で、7世紀後半の年代が考えられます。

須恵器(野水橋横穴墓群出土)