3世紀後半、畿内地方に誕生した大和政権は、各地の豪族と結んで勢力を拡大していきます。同時に、権力の象徴である大型前方後円墳の造営が、畿内から各地へ広まります。4世紀後半頃には多摩川下流域(大田区田園調布付近)には大型前方後円墳が出現します。これは、この地域の首長と大和政権との関係の成立を示すものと考えられます。5世紀には多摩川中流域(世田谷区・狛江市・調布市)にも古墳の造営が広がります。
やがて古墳時代後半になると大型古墳の造営は終わり、小形の群集墳がとってかわります。関東地方は大和政権の直接的な政治編成に組みこまれ、さらに7世紀には律令国家体制が確立し、現在の神奈川県の一部・東京都・埼玉県などを含む広い地域は武蔵国(むさしのくに)と呼ばれ、21郡からなる東国の大国となります。
三鷹市では今のところ、古墳時代遺跡の発見例は少なく、市内唯一の高塚古墳である天文台構内古墳や中原地区で発見された住居跡などがあげられます。