トップページ
 
常設展示室
特別展示室
・指定文化財
企画展示室
速報展示室
情報検索室
講座研修室
公開施設情報室
埋蔵文化財調査室
 
リンク
常設展示室トップへ戻る

古墳時代のみたか

3世紀後半頃
 3世紀後半、畿内地方に誕生した大和政権は、各地の豪族と結んで勢力を拡大していきます。同時に、権力の象徴である大型前方後円墳の造営が、畿内から各地へ広まります。4世紀後半頃には多摩川下流域(大田区田園調布付近)には大型前方後円墳が出現します。これは、この地域の首長と大和政権との関係の成立を示すものと考えられます。5世紀には多摩川中流域(世田谷区・狛江市・調布市)にも古墳の造営が広がります。
 やがて古墳時代後半になると大型古墳の造営は終わり、小形の群集墳がとってかわります。関東地方は大和政権の直接的な政治編成に組みこまれ、さらに7世紀には律令国家体制が確立し、現在の神奈川県の一部・東京都・埼玉県などを含む広い地域は武蔵国(むさしのくに)と呼ばれ、21郡からなる東国の大国となります。
 三鷹市では今のところ、古墳時代遺跡の発見例は少なく、市内唯一の高塚古墳である天文台構内古墳や中原地区で発見された住居跡などがあげられます。

1 主な遺跡と遺物

天文台構内古墳(大沢二丁目)
 墳丘の形態は円墳もしくは方墳と思われます。発掘調査の際、一部で葺石(ふきいし)が発見され、かつては墳丘全体が石に覆われていたと想像できます。
 主体部は追葬可能な横穴式石室で、五角形の玄室(げんしつ:遺体埋葬室)と四角形の前室を持つ複室構造です。石室の形態から7世紀の築造と考えられます。埋葬人骨や副葬品は発見されていません。

滝坂遺跡(中原二丁目)
 7世紀の住居跡1基が発見され、カマドや貯蔵穴が確認されました。



2 土師器のセットが出土
 羽毛遺跡の1軒の住居跡内で発見された、古墳時代前期の土師器です。内容は台付甕(だいつきがめ:復元土器1点・脚部2点)、高坏(たかつき:復元土器2点・坏部1点・脚部1点)、碗(わん:1点)です。これらが作られた時期は、4世紀後半〜5世紀前葉と考えられます。今のところ、古墳時代の住居跡の発見は、仙川と入間川流域に限定されていて、古墳や横穴墓のある野川流域にはありません。

天文台構内古墳(7世紀)



土師器(羽毛遺跡出土)